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博士課程を終えた感想
2024年3月に横浜国立大学大学院の博士課程後期を修了し、博士(工学)の学位を得た。忘れないように何かメモとか、思ったことなどを書く。
目次
総括
- 大学関係者はもちろんだけど、3年間分の労働力を諦めて僕を派遣してくれた職場には特に感謝している。(できれば博士課程の成果を活用する形で)恩返しがしたい。
- 結果だけ見れば、スムーズに学位が取れた。巡り合わせや周囲の助力は当然としてそれ以外だと、満足していない成果でもストーリーを仕立てて成果文書をしたためる技術は役に立った。これは少し年齢を重ねていたことの利点だったと思う。
- 博士課程で得られたものは、研究テーマである群ロボットについての専門知識、その一言に尽きる。他にも色々あるけど、仕事でも得られるものを取沙汰するのは自分の中ではちょっと違う。
- 博士研究に従事した時間はそれまでの就業時間と変わらないけど、心境の変化だったり入ってくる情報の違いからか、それまで縁が無かった課外活動にも参加出来てよかった。
- 学術業界の諸々についてはなんだかなあと思うことがないわけではないが、かと言ってもっと良いやり方は思いつかない。ただ、ローカルルールで自縄自縛になるのは辞めた方が良いと思ったし、ローカルルールに乗っかるなら乗っかるで朴訥にその不利益を甘受するのは勿体ない気がした。
前提的な話
研究テーマ選定について
- 群ロボット(スウォーム、マルチロボットシステムとも)の研究をした。
- 群行動を創発するアルゴリズムの考案というのがテーマとしては王道かも知れない。
- 自分の場合は特に、どうやって人間が効果的に群ロボットを統制し、具体的に利点を感じられるタスクを実行させられるか、という点に興味があった。
社会人博士としての立場について
- 入試は当然受けたが、勤め先からの視点で言えば「僕を大学院に派遣する」という形で入学した。
- ポイントは「派遣」という点で、ここでは僕の業務内容が「大学院での研究」に変わったという意味。そのため、業務面・資金面の不安なく研究に集中することができた。職場には感謝してもしきれないし、少しでも恩返しができたらと思う。
- 僕は勝手にこの制度を「内地留学」と呼んでいる。留学と単に言うと国外のイメージが付くが、いずれにせよあまり伝わった試しはない。いざ伝わると羨ましがられるので誇らしい、なんとかこの制度が存続するよう、勤め先には貢献していきたい。
- ただ、そういう恵まれた立場のため、社会人博士の生存戦略とか、どうすれば確実に学位が取れるかとか、そういう観点ではこの記事は参考にならないかもしれない。
研究に関するバックグラウンド
- 修士までは再生医療の培養装置開発、就職後は研究プロジェクトの企画管理が主な業務。ロボットの研究となると厳密には博士課程で初めて手を付けたことになる
- 他方、そもそも就職後に取り扱う研究プロジェクトがロボット関係であり、企画管理だけでなく自分でロボットに触ることも推奨されていたので、素養の程度はともかくとして、違和感なく研究を始めることができた。
研究の進み
1年目前期(2021年度前半)
- 最初はBehavior TreeとかそういうキャラクターAI的なものを拡張して、群のミッション管理システムのようなものを作ろうと思っていた。
- 各ロボットそれぞれにキャラクターAIを載せるのでなく、Behavior Treeの階層構造を群ロボットの組織図に見立てて、総体として1つのキャラクターAIに基づいて行動するようなコンセプトを考えていた。
1年目後期(2021年度後半)
- 前期に立てた構想が壮大過ぎて何をしたらいいかわからず途方に暮れた。
- いずれにせよ群の組織構造を作ってみないと始まらないので、ヘンゼルとグレーテルのパンくずになぞらえ、群ロボットが前進するのに合わせて通信中継ロボットを配置して、ツリー上のネットワーク構造(≒組織構造)を形成する方式を作ってみた。
- 作った手法単独でも体裁が整いそうだったのでそのまま学会発表&論文化を狙った。ロボット同士のネットワーク接続相手選定プロセスの簡素化とか、通信中継ロボットの選定や位置取りとか、そういった要素に主眼を置いた。
- 群ロボットの組織図をBehavior Treeの階層構造に見立てるアイディアは相変わらず行き詰っていたが、ツリーと呼ぶからには、せめて分岐のある組織構造をと思い、実装した。
2年目前期(2022年度前半)
- 組織構造の論文執筆と投稿。こちらは条件付き採録に近い評価で、6月には採録が決定した。
- 未完成でもナラティブを整えて発表できる自信がついたので、枝分かれのある組織の形成についても国際学会投稿を狙った。しかしながらこっちは論理構築も実装もどちらも上手くいかず大変で、結局非採択となった。
- 採録された手法についても当時は、具体的なタスクはせずランダムウォークで彷徨うだけだったので、各ロボットに「どこに行くか?何をするか?」の意思決定を要求するタスク設定が欲しくなり、何かの拍子にパトロール問題に出会った。
- 上記の組織構造と古典的なパトロール手法を組み合わせて、階層的な群組織によるパトロールアルゴリズムを構築した。
- パトロールの進捗状況を人間がどの程度遅滞なく掌握できているかを評価すれば、群行動の有効性や人間による効果的な統制という議論ができるのでは?と思いついた。この思い付きが博士論文の主軸になったと思う。
- 各ロボットによるパトロールの実績を人間に伝える手法を考える過程で、組織構造を形成せず、各ロボットが散らばってパトロールをする手法も思いついた。既存手法に比べて革新的とまでは言えない延長線上的な手法だったが、創発的な領域分担を副次的にできることもわかったりして面白かった。
2年目後期(2022年度後半)
- 国際学会非採択になった枝分かれのある群ロボット組織構成について別の学会に出したところ、学会が提携する(?)論文誌への同時投稿を学会から勧められ、そのまま両方採録になった。ラッキーだったし、論文誌への非採録実績2本と、学位取得の面でも有利な材料が揃った。
- 前期に作った階層的な群組織によるパトロールアルゴリズムも実装・評価を進めて学会発表をした。この学会では若手著者賞ももらえて嬉しかった。
- 上記学会を含めて、大阪、大分、アブダビと色々回れて、年度末は忙しかったけど楽しかった。
3年目前期(2023年度前半)
- 2年目後期に学会発表した階層的な群組織によるパトロールアルゴリズムを改良したり別側面から評価したりして論文投稿した。
- この過程でパトロールの進捗状況を人間がどの程度遅滞なく掌握できているか、という観点を評価指標として定義してみた。今となっては他の類似指標に対する優位性は思い出せないが、当時は色々調べてメリットがあると判断したことだけは覚えている。
- 2年目前期に思いついた、各ロボットが散らばってパトロールする手法や評価指標についても学会発表をした。発表自体は悪い意味でつつがなく終わってしまった感があった(質疑とかは盛り上がった)けど、それまで学会で会った人と再会したりして、少しずつ業界に入り込んでいく感覚を覚えた。人的交流は結局のところ顔を合わせること、長期間繰り返し会うこと、という泥臭さが重要と感じた。
- 秋には博論の予備審査があるというので、とりあえず現時点の材料で仕上げた。幸い長文を書くことは苦ではないので、質はともかくとして気軽に執筆することができた。
3年目後期(2023年度後半)
- 博論の予備審査を無事にパスした。アルゴリズム開発という意味での成果はほぼできていたので、評価の観点でもう少し踏み込みたいと思っていた部分を、本審査までの宿題と設定した。あと数か月でどこまでやれるか。
- 評価として、実際にパトロール中に発見した不審物の排除に要した時間の分析をした。現実世界ではロボットが勝手に対処をするのは許されないハズで、パトロール性能は低いがオペレータへのアクセスが良好な階層組織構造でのパトロールと、パトロール性能は高いがオペレータへのアクセスに時間がかかる分散的なパトロールとを比較した。
- 論文投稿中だった階層型組織構造を形成・維持しながらパトロールする手法については、非採録となってしまった。非採録理由はもはや忘れてしまったけど、他の手法に対する優位性の検証が弱く、無理やり自分の土俵で評価をしたのが見抜かれたのかも知れない。
- 研究成果は全て公開するのが当然の務めだと思っていたので、慌てて再投稿先を探した。前回査読の指摘や反省事項を修正しつつ、全ての査読質問に満額回答するために冗長になった部分を削って再投稿。博論本審査や学会投稿とも被って苦労したが、採録されてよかった。
- 階層組織構造ではなく、より各ロボットが散らばってパトロールするアルゴリズムについても同様にポスター発表や論文投稿をした。こちらも結局一度は非採録となったが、別の論文誌で採録されてよかった。
- 博士論文の本審査は特に波乱も無く、最終版の論文を事務局に納めた。ストーリーに影響はないが、本当は載せようと思っていた結果を載せ忘れたのが悔やまれる。
リザルト
- 自分が筆頭著者になった外部発表はここにまとめている→出版物
- ほか、幸運にも何件か同僚の学生の成果に力添えをすることができた。
博士課程であってよかったもの/よくなかったもの
- 良かったものについては、自分は運が良すぎてあまりに色々あり、列挙するのが少し恥ずかしいので割愛。
- 強いて挙げるなら7年間のサラリーマン経験、あるいはシンプルに修士から7年分年齢を重ねていたことはよかったかも知れない。
- 納得が行っていない成果を完成品として取り扱うためのフレーミング能力(というのかな)は年齢を重ねて身についた気がする。
- でも修士の時点でも割と見切り発車で成果発表していたような・・・?
- 逆に年齢の問題か、それとも単に修士からの持ち上がりじゃないからか、もしかしたら指導教員は少しやりづらかったのではないかと心配している。
- 二次元の簡易シミュレーションだけで研究を完結させてしまい、数理的な分析、物理シミュレーション、実機実験のいずれもやれなかったのは少し残念。
- 研究経歴が豊富とは言い難い中で、3年間で確実に学位を取ると考えた時に最も安全な方法を取ったと言え、攻略法としてはアリなのかもしれない。
- 勤め先の派遣制度趣旨は「専門性を身に着けること」であって「学位を取ること」ではないので、学位取得最短ルートを通るのが最適解だったのかはわからない。
- 業界で尊敬を集めている人も(恐らくやろうと思えばできただろうに)色々と良い意味で回り道をして学位取得をしているイメージがある。
博士課程で得られたもの
群ロボットに関する専門知識
- 研究テーマとして据えた分野についてはそれなりに調べ、自分て手を動かして実装・評価をし、その成果と調べた内容との関係性を分析する、というプロセスを経るので、この分野については最低限の専門知識が付いたのではないかと思う。
- 既存手法と比較をするのに、いくつかの論文については特に何度も読み込んで再現実装をしたりといった作業もあったので、そういうことが意外と自分でもできるものだなと自信がついた。
副次的なスキルについて
- よく言われるのはプレゼン能力とか語学力とか対人能力といったところか。別に間違ってはいないし、現に身についたかも知れないが、別に仕事をしていても身についただろう。
- なんなら博士研究だとテーマによってはほぼ自分一人で完結してしまうこともある分、大きな組織間調整が確実について回る仕事の方がよほどタフな能力が身に着くと感じた。
- まして僕を派遣した職場からしたら、3年分の労働力を手放した結果、派遣しなくても身についたであろうスキルでしたり顔をされたら、たまったものではない。
- 博士課程自体は後輩にも勧められる経験だったと思うが、進学しなかった人が博士課程に行かなかった時間で遊び惚けているわけではあるまいし(別に遊び惚けていても良いのだが)、特に修士学生に進学を勧める場合は、就職に対する優位性として副次的なスキルを挙げるのはフェアではないと感じた。
群ロボットについて感じたこと
複数のロボットが協調するというのは2種類の形態があること
- 複数のロボットを分散的・協調的に使うと言えば魅力的に感じるが、お互いに短所を補うとか、お互いに力を合わせてとか、そういった人間同士の関係性から類推される「相乗効果を伴う協調」は技術的には非常にハードルが高い。ここで相乗効果というのは「1台のロボットではどれだけ時間をかけようともできないタスクを2台以上のロボットを使って達成する」くらいの意味。
- 従って、短期的に群ロボットを実用化するのであれば、同じ機体を同時に複数運用することで、機体数に比例してタスクの所要時間を短縮するという形での協調が現実的と考えられる。自分の研究で想定したタスクであるパトロールタスクも基本的にはこちらの形態である。総工数は変わらないため、機体数に比例してコストがかかるが、一部を失っても相応にタスクを継続できるとか、コストよりも所要時間短縮を優先する場合にはメリットがある、という理屈になる。
そもそも単一のロボットを完成させたい
- この場合は(というかいずれにせよ、だが)、単体のロボットとして完結してタスクを完遂可能である必要がある。自己位置推定、環境認識、経路計画等ですら実環境ではまだまだ課題が多い移動ロボットの分野において、それらが解決されていることを前提にして群ロボットの研究を行うのは、少し片手落ちな感覚を覚えた。
- 逆に、それらが解決しているという世界線であれば、演算能力や通信といった部分も改善されているだろうから、分散的な狭義の「群制御」がなくとも、最高のロボットを個別・中央集権的に使えば良いのではないか?という疑問が残った。
群ロボットのその他の難点
- 1台のなんでもできるロボットよりX台のシンプルなロボットの方が安い、という理屈はたまに聞くが、本当にそうなのかは若干疑問。
- 数が多ければ多いほど、現実世界では管理コストもかかる。全部同じ機種、同じ値段であれば、物品管理的な観点でのコストは大したことないかもしれないが。
でも、分野としては嫌いではない
- 前述の、より「ハードルが高い」方の協調についてだが、そうは言っても機能が異なるロボット同士が連携してタスクを遂行するという絵姿には非常に魅力を感じる。博士研究でも役割切替という形で片足は突っ込んだが、いずれは本格的にチャレンジしてみたい分野ではある。
その他①論文とか
日本語か英語か
- 僕の場合は友人にしたり顔をするために論文誌への投稿は全て英語で行った。英語が割と得意だからというのが大きい
論文と査読
- 学者として禄を食むためには、論文誌に採録されるとか、採録された論文が引用されるとか、そういった要素が重要らしい。
- 厳密には自身の論文の被引用よりも論文誌のインパクトファクターが重要かもしれないが、いずれにせよ引用という行為が密接に関わっている。
- 他方、採録に際して非常に重要な立場を占める査読者は基本的に匿名で実施される。これには若干アンフェアさというか無責任さを感じた。
- 実際に学者として禄を食めるかは研究機関が採用に責任を持つので、そもそも無駄な議論かも知れない。
- 査読自体が無責任に実施されているとは微塵も思わない。むしろ責任を負いすぎ(非常に大変な作業だと聞く)ではないかと思うときもある。
- 引用についても同様で、誰かの論文の第2章で当て馬として引用され、その回数に一喜一憂し、挙げ句その積み重ねで自分の生活の成否が決まるのか?と想像すると何とも言えない気分になる。
- これは自分が勝手な想像で何とも言えない気分になっているだけなので、これ以上議論しても仕方がない。
- 自分は論文一本一本に時間を割けたこともあり、引用する論文にも丁寧に目を通したつもりだが、急いでいたり生活がかかっている時に同じ態度でいられる自信はない。
その他②研究費
- 大学の研究室運営というのは非常に経済的に苦しいと聞いている。
- 自分が所属した研究室でも優秀な学生が大勢揃っていて、同じ学生とは言え事実上教員側ともいえる年齢の自分にしたら、潤沢な予算を使って就職前に色々な経験を積んでほしいと思った。
- ではどうすべきかという話だが、書いても良いことがなさそうなのでここでは詳しく書くのは辞めておく。業界全体として、スポンサーの理解を得られるようベストを尽くしていると言えるのか、とは思った。
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